春光うららかな頃、中津箒の吉田慎司さんが世田谷区二子玉川のKOHOROさんにて「ほうきづくりのワークショップ」を行うと聞き、急遽お邪魔して吉田さんにお話を伺ってきました。
第一回目に引き続き2度目の参加になります。ご出身が練馬区大泉ということもあり吉田さんにとっては身近な場所でのイベントですが、第一回目の 「井のいち」の印象はいかがでしたでしょうか。
大変な雨でした(笑)。地元の、古く大きな神社を借りて、周囲の作家やお店でのイベントと言うのは思い入れがあります。神楽殿のライブは印象的でしたね。
子どもの頃より住んでいましたが、なかなか探索もしないし知らないものは知らないもので。こんなお店あったんだ!と言う事も多くあり、終わって数日して、お店を訪ねた記憶があります。
二年経ってご自身に何か変化は?
人にも言ってもらえるのですが、職人としては、腕は多少なりとも上がっているかと・・・思います。
丁度あの時期から忙しくなりまして、見方や考えが変わったと言うよりは、無心で制作している事も多かった様に感じます。「作品」と言う見方をすると、一点の突き詰めた完成度に目が行きますが、手仕事こそ、速度や生産性が要になると最近はひしひしと感じています。
昔からの切磋琢磨してきた作り手はとにかく手が速い。ずっとこねくり回して一個良い物を作るのはどうにかなりそうですが、恐ろしい速度で、しかも全く質を落とさず、届けたい相手にたくさん、それ故少しでも安く届けられる。
納期や生産性と言ってしまうと味も素っ気も無い様ですが、そう言ったプロフェッショナルな意識がまだまだ追いついていなくて。
結局はずっと考えている事なのですが、良い物を、出来るだけ多くの人に届けたいと思っています。
そもそもなぜ箒作りを始めたのですか?
元々、美大で彫刻を学んでおりまして、
民俗や昔の暮らしに興味を持った事がきっかけです。
美術は元来政治的で社会的なものなので、当然と言えば当然なのですが、社会や暮らしの在り方、問題などをずっと考えていました。そんな時、民俗資料室でアルバイトをしていて、中津箒を復興しようとしている社長や、職人に会ったのがきっかけです。
あまり、文化だとか環境だとか小難しい事ばかり言っても仕方ないのですが、昔ながらの道具や生き方には、洗練された美学や、暮らし方、理に適った仕組みがあらゆる所に血肉となって根付いていると思っています。
茶道を習った方の美しい仕草だったりとか、季節ごとに器を楽しむ心だとか、1つの道具を三代に渡って使う事だとか。何でも良いんですが兎に角、美しい暮らしや発見を伝える道具として、一般の生活に根付き、シンプルで、今に伝えられる現役の道具と言うとこれしかない。と、始めた当時直感した記憶があります。
昔は石神井周辺でもホウキモロコシを栽培している農家も多くいたと聞きますが、吉田さん達は神奈川の中津でホウキモロコシも栽培していますね。
元々、中津地方の箒を復活させるところに、自分が入ったと言う形です。
だからと言って自分が栽培出来るかと言うと、農業や素材作りも長年の蓄積や経験、土地に根付いた物なのでそうそう出来ません。それ故、良いものも出来るし、そこに意味があると思っています。
吉田さんにとって「生活」と「道具」とは。
最近言われて気づいたのですが、豊かさと、良い暮らしと言う事しか考えてないんですよね。笑
何が豊かだろうとか幸せだろうとか考えた時に、六本木に住みたいとかお金が欲しいとか思わなかった。ただ高いものじゃなくて愛着の持てる物だとか、嬉しくなる物だとか、人とそれを分かち合える事だとか。言葉にしたり、人に見せる必要もないのですが、そう言う事を各々みんなが考えたり感じたり出来る社会が良い社会、良い暮らしのある世界だなって思います。
暮らしを作ると言う事まで広げれば、食べ物以外、身の回りは道具ばかりです。
1つ、こだわりや、真っ直ぐに向かい合った道具があるだけで、暮らしって一変すると思います。
はじめて箒を使おうとしている方に、箒の魅力を伝えるとすれば。
単純に、便利です。
軽いし、思ったときにすぐ出せるし、音や仕草も使っていて心地よい。
ベランダや玄関があれば、そのまま掃き出してしまえるのでとても楽です。
長く付き合える道具なので、出来るだけ気に入ってもらえる様に工夫して作っています。
物や家を慈しんで、永く使える様に整える。人によって、使い方や暮らし方はそれぞれですが掃除した後、心も、落ち着く感じが個人的にはあります。